あの絵を肴に

美術館愛をお酒を片手に語っております

レスキュー・人を、地域を、文化を。

ある地域が壊滅的な被害を受けたら。


まず、人を助ける。
次に人が住む地域を助ける。
そして次に、人と地域が育み、育まれてきたものを助ける。
いわゆる文化といわれるものだ。
文化は、土地と人を、人と人とを繋ぐ。
生活の拠り所になるものだ。
その文化が欠けていたのでは、真の復興にはならない。


その、人々の生活の復興に欠かせない文化財のレスキュー活動の状況を伝える展覧会が、東京藝術大学大学美術館で開催されている。
「いま、被災地からー岩手・宮城・福島の美術と震災復興ー」展である。

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東北という土地柄が、東北の人々に、東北に縁のある作家達に、どのような影響を与えてきたのだろう。
展覧会はまず地下一階、東北で生まれた作家、東北で過ごした事のある作家、東北にお嫁に、または移住してきた作家など、東北に縁のある作家達の作品の展示から始まる。(写真は、外の看板から撮ったもの。水滴がついてるのは雨の日だったからです)

様々な作家の、様々な作品の、様々な作風の展示。
人物画あり、自画像あり、風景画あり、抽象画あり。
彫刻、そして工芸品も。

一番最初に出迎えてくれるのが、会津が郷里の酒井三良、「雪に埋もれつつ正月はゆく」。
お出迎えに相応しい、寒い寒い東北の、温かい作品。

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厳しい寒さの東北だからこそより伝わる、優しくて、本当に暖かい家族の絵。

そしてこちらも優しく、暖かく、可愛らしい、福島・白河が郷里の関根正二、「姉弟」。

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思い出の匂いのするような作品。
関根正二の絵は、もう一点、「神の祈り」も。

東北の作家で広く知られている作家といえばやはりこの方か。

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岩手県出身の萬鐵五郎、「赤い目の自画像」。
萬作品の荒々しさ、ラフさ、熱っぽさ。
これはやはり岩手という土地が、萬という作家に作用してできたものなのだろうか。
萬の作品は他にも二点あり、ドキッとしたのが「地震の印象」。
人物も建物も風景も、空までもが本当に激しく粗っぽく描かれており、悲惨なイメージを彷彿とさせる色使いではないところが、なおさら普段の生活の中で突然起こる地震という現象の脅威を表しているようで、そして実際それがこの絵が描かれた次の世紀に萬の出身地で起きているという事が、なんとも言いようのない気分に
させる。

同じく三点展示されていた松本竣介

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松本は少年期を、岩手の花巻と盛岡で過ごす。
その頃に熱病で聴力を失った、松本の言葉。

絵筆をかついでとぼとぼと
荒野の中をさまよえへば
始めて知った野中に
天に続いた道がある
自分の心に独りごといひながら
私は天に続いた道を行く

耳が聞こえない世界に突然放り出された松本が、兄からもらった油絵道具を手に胸に、岩手の自然の中を行くイメージが湧く。
聴力の代わりに目で音を聞くようになった松本の視界が捉えた岩手の風景も、二点展示されている。

この方は優男風の柔和な風貌にも関わらず気骨のある方で、戦争のために国家に協力的な絵を描けという軍のお偉いさんのお言葉に対し、真っ向から反論して、周りの人をハラハラさせた。
同じ年に、写真の「画家の像」を発表。
耳が聞こえないため徴兵検査に通らない松本の、一人の人間として、絵を描いて成長していく事、そしてそれで家族を守っていく事の覚悟と決意とを表しているようだ。

36歳という若さで亡くなった松本。
彼を敬愛していた、澤田哲郎の絵もある。

そして彫刻では、この松本竣介とは盛岡中学で同級で、松本が亡くなるまで親しい交友関係にあった舟越保武
天童荒太の小説の表紙によく使われている彫刻の作家、舟越桂の父である。
なるほど、そうやって見ると清らかな静けさを湛えた作風は父から息子へ確かに受け継がれているようだ。
父・舟越保武に影響を与えた同じく岩手の彫刻家、堀江尚志と吉川保正の作品も展示されている。
堀江、吉川→舟越・父→舟越・息子へと、岩手を代表する彫刻家達の系譜が感じとれる。

舟越保武と同じ年に宮城で生まれ、同期として東京美術学校(この展覧会会場の現在の東京藝術大学)に入学し、共に研鑽を積んだ佐藤忠良
彫刻家ながら、絵本「おおきなかぶ」の挿絵を描いた方だ。
この展覧会では、「帽子・夏」が展示されている。
ダンな感じ。
その「帽子」シリーズとはまた打って変わって、ああ、やっぱりこの人が「群馬の人」を作ったのだ、という事を実感する土着的な「常磐の大工」。

土着的といえば岡本太郎に「おまえはそこ(東北)で闘え!」と言われた岩手の村上義男の絵もある。

絵が描ける場所は東京だけじゃない。
東北の作家達は、東北の人々が東北でも美術が学べるように尽力してきた。
東北で美術研究所を開設し、美術展を創立し、大学で教鞭をとり、後進の育成に励んだ。
功を奏して東北は、作家性に富んだ様々な作家を生み出してきたようだ。

東北という地がそれぞれの作家の作家性にどのように作用してきたのか。
酒井三良のぬくもり、関根正二の思い出、萬鐵五郎の熱、松本竣介の透明な気骨、舟越保武の清らかな静けさ、佐藤忠良のモダン&土着。
他にも今でも東北の人々に愛されている作家達がたくさんいる。
彼らはその独自の作家性でもって東北人の自分を描き、東北の人を描き、東北を描いた。
彼らの作品はそのまま東北の人々の目に郷土の風景と重ねられ、根付いてきた。

より個人的であり、より地域性がある事は、より世界に共通していく事だと、誰かが言っていた。

とても広く、美しい東北。







場所が変わり、エレベーターで三階へ。
ここからは東日本大震災が東北美術にもたらした影響を見ていく。
飛び込んでくるのが、力強い木彫りの男達。
高橋英吉の、「海の三部作」。

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石巻出身の高橋英吉は若い内から才能を発揮し、将来を嘱望されるも、31歳で戦死してしまう。
写真は「海の三部作」の一つ、〈潮音〉。
この〈潮音〉は、高橋が散ったガダルカナル島日本平和公苑にて、ブロンズ像が建立されている。
彼は出征後も多くのスケッチを描き、木を掘り続け、輸送船の中で拾った流木に手製の彫刻刀で不動明王を掘り、それが遺作となった。
展示場にはそのスケッチ群と、手製の彫刻刀と不動明王像も展示されている。

この高橋の作品を多く所蔵していたのが石巻文化センターだ。
同センターは地域の総合博物館だった。
美術品だけでなく、考古、歴史、民俗等の資料も多数収集していた。
東日本大震災では津波によって施設は損壊、閉鎖を余儀なくされ、周辺市街地も壊滅、学芸員も一人亡くなっている。


岩手で最も被害が大きかったのが、陸前高田市立博物館。
二階天井まで津波が襲ったという同館の被災後の写真。
天井から瓦礫がぶら下がっている。
各階の床も、人の背丈以上ありそうなあらゆる種類の瓦礫が津波によってものすごい密度で放り込まれ、置き去りにされた様子が伺える。
職員の方も六名全員、亡くなった。

その陸前高田市立博物館の裏手にある陸前高田市体育文化センターの敷地に設置されていた柳原義達ブロンズ像、「岩頭の女」。
高さは2.4m、台座の重さは30トンにもなる。
津波はこの台座を女性の像の足首からもぎ取り、さらに20m転がし、天地をひっくり返していった。
両足を失くしたブロンズ像の下半身にはたくさんの裂傷、陥没が見られ、両足と同じく津波によって失った左手には、ポッカリとした黒い穴が空いている。

福島の美術館・博物館では地震津波そのものによる大きな被害はなかったようだが、一番大きな問題となったのが、やはり原発事故による放射能汚染の問題だ。
美術館、博物館が再開されても海外巡回展中止、出品停止が相次いだという。

警戒区域に指定された地域では、多数の文化財が置き去りに去れ、救出もままならない状態が震災から一年以上も続いたらしい。

それぞれの地域の被災状況によって、文化財のレスキュー活動の内容も変わってくる。
その模様が、パネルでも丁寧に紹介されている。
本当にひどい状態から、多くの人の多くの手による、途方もない作業過程を経て、作品が蘇っていくさまが見てとれる。
携わった方達と、蘇った作品に、頭が下がる思いがする。
この模様は展覧会で無料で配布されるリーフレットにも記載されている。
本展覧会は図録の販売はないけれど、この36ページのリーフレットが本当に見応えのあるものになっている。
文化財レスキューに携わった方々の思いがひしひしと伝わってくるようだ。




展示場には、震災以降に作品を発表した東北の作家達の作品もある。

福島に縁のある写真家・瀬戸正人氏の「セシウム」。
福島、セシウム、水溜り。
不気味にテラテラしている。

岩手県大船渡市の作家、佐藤一枝氏の「Sewing 2011-2016」。
刺繍枠に白い布を張り、中には震災後、佐藤氏が自分の部屋の土砂から見つけた記事の紙片やフィルムが挟まれている。
それが、白い布を通して見える。
その刺繍枠が規則正しく並んでいる。
震災で死んだ思い出に対しての、心を込めた厳かな葬儀のようだ。

宮城には青野文昭氏、「ここにないものたちのための群像ー何処から来て何処へ行くのかーサイノカワラ・2016」より「なおす・代用・合体・連置」シリーズ。
青野氏は震災後、閖上で収集した物を、家具などと組み合わせて作品に仕上げている。
青い上着に洋服箪笥、灰色の靴に靴箱など、誰かが実際に着用していただろう物からぼんやりと人型が浮かび上がっている様子は、震災で亡くなった方達の亡霊のようにも思える。
けれどタイトルを改めた見直すと、「なおす」とある。
青野氏ご本人の意図はわからないが、震災で打ち捨てられた瓦礫やゴミとなるはずの物達を、本来の使われ方に蘇らせているのか。

福島の施設では地震津波そのものによる大きな被害はなかったと前述したが、やはり個人のアトリエでは被害があった。
福島に御家族と共に住み、アトリエを構えられていた彫刻家、安藤栄作氏は津波でアトリエが流され、多くの作品を失い、今は奈良に住まわれている。
その安藤氏の手記がある。
ぜひとも読んでいただきたい。

復興への思い
"「3.11」を超える作家たちへ"

震災後に生きる作家達に伝えたい事。
この展覧会では安藤氏の「約束のつばさ」が展示されている。





「世界人であればあるほど寧ろ益々郷土人なのである」
岩手県出身の在京作家たちを中心に結成された洋画団体「北斗会」の緒言にある一文である。
(本展覧会のリーフレットより)

郷土は人の身体に根付く。
近くに在りてより案じ、遠くに在りてより疼く。

2011年3月11日、東北を襲った東日本大震災
、郷土にいながら郷土とはまったく別の地へ、東北の人々を吹き飛ばした。
強制的に、一瞬の内に。
郷土を郷土たらしめんとしたもの達が、瞬く間に崩壊した。

復興。
もう戻らないものを思い、心を痛ませながらなお、残った断片たちをかき集め、また新しく甦らそうとする事は、とても大変でしんどい事だろう。

この展覧会で展示されている作品の東北の作家達は、実際に被災された方達もいらっしゃれば、境遇や状況の違いはあれども、自己の中で一度世界が崩壊し、その中からまだ根付いているものや残がいをかき集め、見つめ直し、そこから自分が何を作れるのか模索して、そうして彼らの作家性をより確立していった方達もいらっしゃるように思う。
だから展示を観ていると、こちらまでその力強さが伝わってくるような気がする。
その力強さこそ、東北の作家達が東北の人々に愛されてきた理由なのだろう。

その力強さがこれからもより多くの人々に届いていきますように。
東北で生きていく人にも。
東北ではない地域で暮らしている人にも。

今、ここから何ができるのか。
改めて考える。

ぜひとも多くの方に足を運んでいただきたい展覧会である。






今回の記事は、「いま、被災地からー岩手・宮城・福島の美術と震災復興ー」展で無料配布されているリーフレットと、文化財レスキューに携われている豊田市美術館館長さんのツイッターからの情報と、「松本竣介 線と言葉」・平凡社刊などを参考にさせていただきました。