あの絵を肴に

美術館愛をお酒を片手に語っております

遊泳 in space called 萩尾望都

才能。
エンターテイメントやアートの世界に身を置く者は、この言葉に敏感だ。
生き残りを左右する言葉だからだ。

「才能あるからかきなさい」
「才能あるから続けなさい」
いわゆる編集さん、プロデューサー、マネージャーと呼ばれる人達は、エンターテイメントやアートのリングにあがった者達に、こう声をかける。
リングに上がり続けさせないと、使いものになるかどうかなんて、すぐにはわからないからだ。
私もかけられた。
社交辞令だと受け流してきた。
疲れ果ててリングで起き上がる力を失くして、呆然としてる時にも言われた。
一瞬冷ややかな目でお相手を見た。
「才能の扱い方もわからないくせに」、と。
わかるわけないのだ。
自分ですらわからなかったのだから。
小才は、「才能」に振りまわされる。
大いなる才を有する者はどうなのだろう。

漫画家・萩尾望都さんの展覧会が、武蔵野市立吉祥寺美術館で開催されている。
萩尾望都SF原画展」だ。
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少女漫画界を牽引してきた、いわゆる「花の24年組」と言われる方々のお一人だ。他には竹宮惠子さん、大島弓子さん、山岸凉子さん、木原敏江さん、青池保子さん等、錚々たるメンバーがいらっしゃる。

人は異次元の才能を持つと思われる人を、安易に「天才」と呼びたがる。
それこそ人の気も知らずに、だ。

私も萩尾さんの作品は何作か読んでいてすでにすごい方だという事は存じ上げていたのだが、展示室に入って一番最初にある萩尾さんの原稿を観て「てて天才…!」、と思った。
「あそび玉」という作品だ。
萩尾さん、この時21歳。
21歳!?え〜〜〜!!大人〜〜〜!!!
絵の上手い人はいっぱいいるのだが(もちろん絵もすっごく上手…!)、なにしろ21歳の萩尾さんの視点にびっくりだ。
女性の21歳と言えば、彼氏だのオシャレだのスイーツだので、まだまだ親のスネを齧って、遊びほうけている子供みたいな子が多い年齢のように思う(私は色気もなく単純にほうけていただけだが)。
萩尾さん21歳の視点は、そんな親や世間からただ与えられるだけの心地よいフワフワした世界の安直な価値観の中にない。
自分の方から探し、感じ、識っていく人のみがみている世界からの視点だ。
だから作品の一部、ほんの一、二枚の原稿だけでもとても読み応えがある。
作者の感じた真実が、そこに描かれているからだ。
萩尾さんはこの視点を21歳で、いやおそらくそのずっと前から、確立していた。
ものすごい才能を感じずにはいられない。

ちなみにこの「あそび玉」、生原稿はなぜか行方知れずだそうで、展示されてるものは再掲の際にゲラからおこしたものなのだそう。
ゲラそのままで印刷するとやはりあまりきれいに印刷されなかったらしく、ホワイトの修正の跡がいたるところに見られる。
これがもう気が遠くなるような大変さを彷彿とさせるのだが、ファンにはこの生ホワイトの跡こそ、ヨダレものだろう。

この「あそび玉」から、初期の読み切り、連作ものの原稿が続き、有名な連載作品の展示になる。
「11人いる!」は、ずっと読んでみたいな、と思っていたが、今回の展示で改めてまたその思いを強くした。
すっごく面白そう!

「スターレッド」。
引っ越しをした同じ学校のお姉さんから譲り受けた漫画で、萩尾さんのすごさを初めて知った作品だ。萩尾作品の中で、もしかしたら一番好きかもしれない。
今回の展覧会のカオになってるのもこの作品の主人公、星だ。f:id:eleventons:20160515073234j:image

火星を舞台にした作品で、火星に移民した地球人がやがて白髪・赤眼の火星人になり、その末裔の星の運命を描いた壮大で、孤独で、美しい作品。
これは私なんぞが語ったら逆に作品のイメージを台無しにしてしまいかねない。
ぜひとも実際に読んでいただきたい。 
私はただのアホなファンなのだ。
展示を眺めながら、「わ〜、1巻と2巻と3巻の表紙だ〜!美し〜!!」と、一人で勝手に胸中で足をバタバタさせていた。なんなら少し鼻息まで荒くしてたかもしれない。

萩尾さんが少女漫画というジャンルを超えて、初めて少年誌に挑んだ「百億の昼と千億の夜」。
今まで少女誌で掲載されてた作品だって、男でも女でもどんな人でも楽しめる作品だったのだ。
萩尾作品が楽しめるのは少女だけ、なんてもったいない。

萩尾さんは初めて少女漫画家として、SF小説の表紙を手掛けた方でもある。
萩尾さんの絵を通して、それこそ初めてSF小説を手に取った、という少女も多いだろう。
萩尾さん、なんとガンダムまでやってらっしゃる。
機動戦士と少女の世界の垣根を、見事に取っ払われたようだ。
こんな風に萩尾作品を介して、未知なる世界の扉を開き、お互いの領域の面白さを発見した人はたくさんいたはずだ。

萩尾さんの絵は美しさを増していく。
少年誌で描かれた時に、タッチの力強さを意識されたそうなのでその反動なのか、そこはちょっとらわからないが、より繊細な線で、繊細な世界を描きだされている。
繊細といってもひ弱ではない。
生命の儚さの真実を写し出すための、どーんとした力強さでさえある気がする。

才能の種類にもいろいろあって、その定義も人それぞれだと思うのだが、「あ、この人才能あるな」と私が(おこがましくも)感じるのは、身体は生きたまま、棺桶に片足を突っ込んでいるような視界の持ち主である。
身体を形どるものがある世界に生きているにも関わらず、視界はそこだけに留まらない。
人は生きて死に、万物は流転する。星だってそうだ。きっと宇宙はそんなものでできている。
儚くて、でもそこには不変(普遍?)の何かが泰然としてある。
作家さんでよく、シャーマンタイプ、と言われる方がいらっしゃるが、あれはどんな人格にも憑依可能な、恐山のイタコさん的意味合いで使われている事が多い。
でも私が才能があると感じるシャーマンタイプは、どちらかと言うと沖縄のユタのような、人間と自然界を繋げる役割の性質をもった人なのだ。

科学的知識が乏しい私が言うと怪しげなスピの回し者みたいで説得力がなく、萩尾さんにも申し訳なくてとても残念なのだが、それでも言わせていただくならば、萩尾さんはまさにそんな性質の持ち主だと思う。
人間は人間で、自然界は自然界で、この二つは切り離されているわけではない。
共に常に密接に繋がっている。
やがて人は死んで自然と一緒くたになるのだ。
いや、生の営みだって、その一緒くたの中なのだ。

「ナショナル ジオグラフィック」という世界的に有名な雑誌がある。
アマゾンや深海の生物から、古代遺跡、かたや大都会・かたや辺境の地の人間の暮らし、大震災等、いろんな場所の現状、実態を報道している、生命のドキュメンタリー雑誌だ。
写真も多く掲載されている。
そのほとんどが、「ちょっと行って撮ってきました!」、という感じで撮れるものではとうていない。
その写真がとても美しい。
カメラマンの腕もさることながら、被写体の生命の真実を撮るのだ、という被写体に対する誠実さと情熱を感じとれるからかもしれない。

ニュースなどで時々見かけるNASAの映像もとても美しいと思う。
あの映像だって人間の最高峰の科学の力の結晶だ。
現代ではまだ、「ちょっと行って撮ってきました!」、と言って撮ってこられるものでは、とうていない。
そのNASAの映像を見た時に、宇宙の神秘、DNAに微かに刻まれている生命の記憶に迫るような気分になって、つい「美しい…」と見惚れてしまう。

萩尾さんの作品にも同じ事を感じる。
もちろん萩尾さんが深海に潜られたわけでも、エベレストに登られたわけでも、宇宙船に乗って宇宙を旅されたわけでもない。
完璧なフィクションである。
それでもやっぱり真実だ、と思える説得力がある。
それは萩尾作品は萩尾さんの頭で考えられ(それこそ第六感と言われるものまでつかい)、身体を通して伝えられるものだからなのだろう。
そういうところがシャーマンっぽいと思うのだ。

頭で考えて身体で伝える、と言ったらものをつくる人はみんなそうだ、と思われるだろう。
みんなそうなんだが、私は萩尾さんの視界がすごいと思うのだ。
清濁飲み込んだ上でなお透明な世界観、その世界観を支える壮大で深淵なる宇宙観。
こういうものを萩尾さんはどうやって培ってきたのだろう。
わからないから人は簡単に、才能だ!天才だ!って言うんだろう。

私はただただ萩尾さんの宇宙観の美しさに見惚れていた。
何度も何度も行きつ戻りつして、展示場の中を漂っていた。

とても素晴らしい体験でした。



萩尾さんの名作は、SFだけではありません。
これこそ萩尾さんの代表作!という作品は、おそらくファンによって全然違ってくると思います。
なのでオススメ作品を挙げるのは若干気がひけるのですが、中でも特に有名な作品は見つけやすいと思うので、機会がありましたらぜひお手にとって読んでみてくださいね。

私は未読ですがなにしろ有名。少女漫画界の伝説的作品。美しい吸血鬼の少年少女のお話。

「半神」
たった16ページ。なのにここまで人を感動させられるのか!、と、胸つまる作品。
腰のあたりで身体が繋がっている、双子の少女のお話。野田秀樹さんにより、舞台化もされている。奇跡の16ページ。

ドイツのギムナジウム(高等中学)を舞台にした、ガラスの少年達のお話。罪とは、汚れとは、愛とは。チラつく打ち切りをかわし、名作にまで押し上げた、萩尾作品の中でも特に文学的要素の強い作品。よくある文庫の夏の名作100選みたいなのに入っててもおかしくない。


萩尾さん現在67歳、第一線で活躍されてます。
萩尾さんほどの大きな才能を持たれる方の葛藤、続けていく事のご苦労は、私には計り知れません。
偉大なる作家の先生方に、いつも教えられたり救われたりする事ばっかりです。





そんな私はというと。

だいぶ回復したので、「きみは才能ある」というお言葉、受け付けております。

言ってください。
もっともっと。