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あの絵を肴に

美術館愛をお酒を片手に語っております

文豪に猫(文豪編)

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角にこの世は住みにくい。」

文豪、夏目漱石の「草枕」のあまりにも有名な出だしである。
私がまだ子供だった頃、父や、よく楽しい話を聞かせてくれた母方の叔父が、この冒頭からもうちょっと後のところまでを、スラスラスラッと暗唱するのを聞いていた。
なんだか意味がわかんないけどこの大人達は頭がいいなぁ!っとえらく感心しながら聞いてたものだ。
そして大人になった私はまだ暗唱できない。

それでも言う。
私は夏目漱石のファンである。
著書のすべてを読んだわけではない。
それでもファンなのである。

先日、その漱石の展覧会に行ってきた。
神奈川近代文学館の「100年目に出会う夏目漱石」展。
今年は漱石没後100年、生誕150年にあたる。
節目の年である。

渋谷から元町・中華街まで運んでくれる東急東横線の中で「吾輩は猫である」を読む。
漱石展と、その後に行くつもりの展覧会に向けて気合い充分だ。
それにこの「吾輩は猫である」は、父や叔父の影響だけでなく、私自身が初めて「あ、この作家さん、好きだ」と思った、私にとって初めて心を開いて漱石と対面した記念すべき作品なのである。

電車を降りて出口に向かう途中、展覧会のポスターが目に入る。
見慣れた漱石がそこに。
机に肘をつきこめかみ部分を手で支える、国語の教科書でよく見かけるあのポーズである。
ときめいてしまう。
漱石ってちょっとかっこよくないですか?

文字通りあばたもえくぼかもしれないが(漱石はあばたがコンプレックスだったので)、それまではなんとも思ってなかったのに、自分が「好きだ」と自覚してからは、好きだと思う相手の姿を見かけるたびにいちいち胸がキュンキュンするような女子学生状態になって早ウン年なのである。
こんな事言うと不純なファンだと、自称純粋なファンに怒られてしまうかもしれないけれど、こんな私だって純粋なファンですよ、自称。

さて漱石展、ちょっと迷子になった後、文学館にたどり着く。
大きな漱石のポスター。
ドキドキ。パシャリ。(記念撮影)


展示場に入っていきなり、漱石が執筆をしていた部屋、漱石山房が目に入る。
もちろん再現されたものなのだけれど、実際に使われていた机、筆記具、その体重を預けた擦り切れた絨毯、その思想を支えた書物を入れてただろう本棚。
漱石が魂を込める覚悟がつまった空間だ。

そこから漱石の生い立ち。
若い漱石。かっこいい。(怒らないでください)
昼寝の姿にキュンとなる。
鏡子夫人との見合い。
同時代に生きていたなら私が妻になりたかった。ああうらやましい。
でも鏡子夫人だったからあの夫婦は良かったんだろう。
私もいつかあんな夫婦になりたい、いいないいな、と、ひとしきり思った後、漱石の作家時代に入る。

ここからはときめきだの胸キュンだの言っていられなくなる。
漱石の作家としての覚悟がヒシヒシと伝わる内容だったからだ。
なにしろたった十年であれだけの名作を残した人である。
気難しくて癇癪持ちだったと言われる漱石
そんな人が作家だなんて神経を擦り減らす仕事をして(そんな人だからこそなのかもしれないが)、支える家族もさぞ大変だっただろう。
まだ小さな子供に癇癪をぶつけた事もあったそうだ。

そんな漱石でも子供達には綺麗な着物を買い与えたという。当時本来なら母の仕事であるはずの雛人形を買いに行くのも、毎年漱石が子供達と連れ立って行った。その後はその時間を慈しむように一緒に嬉しそうにお菓子を食べたそうだ。

涙腺が緩む。

家族と一緒の写真が何枚もある。
あの頃の時代の人にしてはきっとたくさん撮った方だろう。
小さい子供と一緒に写る漱石は、威厳を感じさせる。
子供が懐く、という感じの写り方ではない。
それまで漱石一人や仲間と一緒に写る姿には思わなかったのに、子供と一緒に写る漱石はなんだか私の父に似ている気がした。

私の父も気難しい人だった。
でも愛情のある人だった。
けれど気難しい人であったがゆえに、私も父に対して素直になれなかった。
お互いに一緒にいても、いつも気まずい思いを抱えていた。

人間の孤独を書いた漱石
少し寂しかった人のことを思い出してしまった。

その後の展示が、漱石の著書の中でもう一つ、私が作家として宝だと思ってる本についての展示だった。
「私の個人主義」である。
作家として「魅せる」方の一番として、私は「吾輩は猫である」を挙げる。
それに対して作家として「在る」方の一番として、「私の個人主義」を挙げる。
この本にはずい分励まされた。
そんな大事な本の展示なのに、その前の展示から図らずも涙が止まらなくなり、他の人にばれないかハラハラしてしまって集中して見れず、大変困った。

それでもこの展覧会からは、漱石が生涯を通して貫いたこだわりが、痛いほど伝わった。
社会の中で個としての責任を全うするためには、孤独も止むなし。
そんな思いが自筆の生原稿から、構想メモから、知人に宛てた書簡から、万年筆のインクの美しい書体を通して伝わってくる。

個としての責任を全うするために漱石は小説を書いた。
孤独と対峙した。
胃が弱かった漱石
きっと漱石にとって小説を書くという行為は、命を削るという事と、同じだったかもしれない。

漱石の臨終前の写真がある。
身だしなみをいつもきちんと整えている印象の漱石のおぐしが、少し乱れているように見える。
「写真を撮ると死にそうな人が治る」という話を聞いた子供達の願いによって、漱石にばれないように撮られた一枚である。
父と一緒にこれまでたくさんの写真を撮ってきた子供達は、まさかこんなかたちで父の写真を撮る日がくるなんて、夢にも思わなかっただろう。
子供達の願いは叶わなかった。
漱石49歳。

「現代に生きる日本人の孤独を書いた漱石」とよく言われるが、彼が書いたどんな重たい小説の中にも(まだすべては読んでないが)必ずどこかプッと笑ってしまう箇所があって、私は漱石のそんなところが好きである。
美しく紡ぎ出される日本語の中から、それは不意にあらわれる。
漱石は神経衰弱も患った事がある事から、どうしても悲観的思考に陥りがちな人間の、なんとか我が身を救う手段としてのユーモアだったのかもしれない。
そんな漱石の泥水の蓮のようなユーモアが其処此処に散りばめられているのが、「吾輩は猫である」、である。
これは本当に面白い。
マネしたい。
できないが。

観覧者は、漱石の本が読まれてきた年月の分、層も厚い。
いろんな人がいる。
年配の男女の二人連れに大声で話しかけてる、やはり年配の男性がいた。
自分の事をあーだこーだと話してる。
漱石展なのに漱石の「そ」の字すら出てこない。
男「旦那さんは何型ですか?」
「…あ、えーと、A型です」
男「それで奥様は」
「あ、あの、わたくし、奥さんじゃないんですよ。イトコなん…」
男「あたしゃーえービールが好きでね!AB型なんですよ!」
人の話なんか聞いちゃあいない。
年配のイトコの二人連れはそそくさと男性から離れ、展示に戻る。
イトコの男性の方の手が女性の肩にまわされる。
展示について耳元で囁く。
女性はしきりに感心する。
「こうちゃんはすごいのねぇっ。理系でも文系でも、なんでもよく知ってるのねぇっ」
「いやハハハ、それほどでもないよ」
そんな二人連れの側を足音高らかに、まるで毎朝の日課のウォーキングかのように、軽やかに歩きぬく男性がいた。
展示場内を一周。また一周。さらに一周。
面白い。
みんなまるで「吾輩は猫である」に出てきそうな人達だ。
さすがは漱石展だ。
漱石だったら、どう書くだろう。

展示場を出て中華街で昼食をとり、次に行く展覧会へ向かうため駅に戻る。
漱石展のポスターの写真とまた出くわす。
またときめいてしまう。
漱石展に行く前は喉の下の方でときめいていたような気がするが、今はもう胸の下の方まで下りてきてしまったようだ。
根を張られしまった心持ちがする。

「こころ」で先生が主人公に言うセリフがある。
「しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか。」

でも先生。
文豪とのこんな恋も、悪くないと思いますよ。